主婦ばかりの文章講座があるとしたら、「主婦ならではの日常性」は、似たものばかりになりはしないか、と心配する人がいるかもしれない。
しかし、それは考えすぎである。
体験と実感は人それぞれ、似た内容であっても微妙に違うものである。
自分の体験と実感を大切にすれば、の話ではあるが。
四百字、八百字というような短い文章の場合は、自分の体験や実感の凝縮している事柄から単刀直入に書き始めることをお勧めする。
それを踏まえながら、例文「春」を全面的に書き改めてみた。
「春」
息子の学費と税金の納入を終わらせない限り、私に春はやって来ない。
若いころは、寒さがゆるんでくると、昔、学校で読んだ、春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山ぎわ、紫だちたる雲のたなびく、というあの名文句を思い出しては春の到来を喜んだものなのに。
いまは、季節感まで暮らしのワクに閉じ込められてしまった。
春はあけぼのどころか、どんどん白くなりゆくわが生えぎわ、の候である。
と嘆いてはいても、五十すぎの姥はこの季節、そぞろこころ落ち着かずに、折をみては戸外に出る。
それまで通ったことのない路地を抜けたりして、思いがけずに花に出合ったりすると、旧友に久しぶりに会ったように気持ちがはずむ。堂々と咲き誇る山桜に出合ったこともある。往古この花を愛でて歌に詠んだ人たちのことなども想って、しばし花の下に立ち尽くしたものである。 カンドー 遠藤泰男 これを一応の完成品ということにしよう、と言えば、人の文章を散々にいじり回してきて、いまさら「一応」とは何ごとだ、と叱られるかもしれない。正直に告白するけれど、初稿よりもこの「完成品」の方が絶対にいい文章だ、と断言する自信がわたしにはないのである。「このことを、こう書いてみよう」と考えて、ともかくも筆をとって書きつづった最初の文章には、独特の力があるものなのだ。
下手でゴツゴツしてはいても、そこにはこのブログの書こうとする意志が、素朴に露になっているからなのだろう。
遠藤泰男(ライター)